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まじめ の記事一覧
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鬱ならば 
2006.01.07.Sat / 14:10 
寂しい?
どの程度で寂しいと言えるのさ?

欝だ?
自覚できるなら大したものだね?

生きてる価値が無い?
そんなに大それた人間なのかね?

踊れ踊れ悲嘆に暮れる琺瑯眼のコッペリア
ただ惜しむらくは其処が舞台ではない故に




なんかネガティブな考えばかりしてる人見るといつも思う。
シェークスピアの言葉をインスパイアすれば、
「鬱を鬱と言えるなら、それは本当の鬱じゃない」って感じ。
言葉に言い表せる位どうとでも成れよ。

個性個性と叫ばれる時代。
周囲に影響され、自分は世界に於いて重要なものだと信じ、
信じて信じ、妄信するがゆえに自己を肥大化しすぎる。

そんな中身の伴わない状態で己を英雄化すれば、
後々現実とのギャップで凹むこと必至なのにね。




寂しいが何だ?
自分を愛せ。ひたすらに。

鬱が何だ?
相談相手は他人じゃない。自分だバカが。

生きる価値が何だ?
理由という保証書が無ければ安心すら出来ないのか。




ま、こんなコトいつも思ってるワケですが言いませんよ?
僕用の考えですしね。
コレは僕の今最新の解答。世間の模範解答じゃないですから。


いい加減なプライドなら灰になれば良いよ(スクライドOPインスパイア)
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ブログ論 
2005.11.12.Sat / 02:44 
「ブログは情報性があるべきだ。
日記のような見ている側にとって詰まらない、
身辺で起こったことを記すだけならば書くべきではない。」

などと云う事を書いているサイトがあったけどさ、何様のつもりなんだろうか。
ボクにとってはそんな自分至上主義な主張をさも正論のように語られる方がずっと詰まらないのだけれどね。

読者から購読料を取っているのならまだしも、無料だよ?
またぞろ月額料金を取るサイトでブログを開いている人も居る。この人はお金を払い、書いている側だよ?

その人らに対して詰まらない事を書くな、って…呆れて物が言えないね。
何の権利があるんだか。神かね君は。

第一『情報性』って何だ。
情報が欲しいのなら新聞でもニュースでも観れば良い。
それこそ個人の主義主張が知りたいのならば本を読めば良い。

ブログにはブログの魅力がある。
それを他のメディアと並列にすべきじゃないし、違いを批判する事態お門が違う。

自分の中でどんな考えを持とうが信じようが勝手だが、押し付けは良くないね。
他人を否定し主張するクソ正義なんて捨てれば良いよ。


と言うのがボクの正義。
向こうが此方を否定できるのなら、此方も向こうを否定できるかと思ってさ。

にしても昔似たような事を書いた気も…ま、いっか。












【11/13加筆】
『はてな』から幾つかリンクが貼られてた模様。
>人様が書いた自分のところで書いたことを、「押し付け」と感じる奇特な人
と評すサイトもあった。(上記はコピペ。ちょっと日本語変だけど、そのまま。)
確かに「押し付け」は行き過ぎな表現だったか。
「ただ、ツマラナイという個人の感情だけの理不尽な理論で他者を高圧的に否定(私にはそう取れた)、侮辱はどうだろうか。
否定するならば、それに足る理由を示してくれないと、解らないし合点も出来ない。」
と言うニュアンスを表現したかった。至らなかった様で失礼。

他にも
>根本的な事については間違っていた場合に正すべきだとは思うが(誹謗・中傷はやめようとか、リンクは自由に出来るものだとか)。
と言う意見も在った。
今思えば当然で、話の要の一部だった。
忘れていたので完璧に手落ちな文になってたよ…。
上記の加筆分と重なるが、
「ツマラナイなどの個々の感情だけで他人を否定するのはどうか」
と言う点ですね。
マナーや法律は最低限に守るべき物ですから、それに反する人は否定せねば社会は成立しませんし。
重ね重ね失礼。


「ブログの表現はルールに反さない限り自由だ」
「何だこの奇特な人は。詰らない事は書べきじゃないんだよ」
という色んな感想がリンク先に書いてありましたが、こういうのもブログの醍醐味の一つですよね。
答えの無い問題を論じるのは楽しいね、色々と。
真実はいつも多く 
2005.11.03.Thu / 05:17 
今日は社会学の講義の日。
「いじめ」の原因を社会学的に考察するという内容だった。

「いじめ」と言えば心理学の領域だと思っていたが、そうでは無いらしい。
民俗学や文化人類学や、今日の社会学、それぞれの捉え方がある。
今日の講義は興味深かったので書いてみようと思う。勤勉だね。惚れてもくれても構わないよ?


先ず、心理学的考察で行くと、
★いじめる側の心理的攻撃欲求
★特定の個人のフラストレーション、ストレス、コンプレックスなど
かな。他にも理由は考えられているだろうけど、多分これが代表的。

心理学だと、あくまで「いじめ」は個人々々が原因。
いじめる側といじめられる側も傍観者も、心のケアをすれば「いじめ」は無くなるのだ、という考え方。


社会学ではまた違う考え。
「いじめ」は個人の心理メカニズムでは無く、集団が自分に秩序を与えようとする、
集合的関係を形成するための一様式と捉えられている。
つまり、儀礼としての「いじめ」。

★供儀的要因…共同体の繁栄または危機回避の為の生贄
★祝祭的要因…共同体の気分を高揚させる時空間の形成
★差別的要因…特定の少数者に対する排斥・排除
★制裁的要因…共同体に解け込めない者への罰

擬似的共同体の「学級」を自らを秩序立てる為の一種の儀式の様な物で、
他人への差異を感じることがある限り、「いじめ」は無くならない。
という考え方が社会学的考え方の様ですよ。

曰く、現代版魔女狩り。
国家ないし学級内で異端があれば排除する。
『集団として纏まろう』と言う事を意識すればするほど、出る杭は打たれる事になる。
当事者、対象者、傍観者、何れが悪いという問題では無い。
という考え方っすね。



当然どちらの考え方が優れているという物ではないですね。
にしても、こういう考え方もあったのか、と感心しましたさ。
学問が違えば切り口が違う。奥が深いですな。勉強になるなる。

最近は心理学に浸かっていたから、今日のは新鮮だったなぁ。
因みに「いじめ」は傍観者が一番悪い、などと珍結論でしたけどね。ウチの教授の心理学は。
傍観者が止めれば「いじめ」は収まる、ってそんな欽八みたいなハートフルな学校、ドラマだけだっつーの。


何かを捉えたいのならば、一つの見方に固執すること無かれ。
多角から見て、多人の考えも素直に聞き入れることが大事だな、と改めて思ったり。


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